研究目的本研究の最終目標は、「ブラックホールとその時空の観測的存在証明」および「一般相対論の検証」である。この目的のため、一般相対論が予言するブラックホールの ”事象の地平面 (以降,地平面) ”を直接的観測で示す [1][2]。本申請では、最適の観測対象である「銀河系中心ブラックホール SgrA*」 について、理論的予測と観測実施のためのコストダウン型観測装置の製作 (移動 VLBI 局の試作・評 価) を行う。地平面 の観測結果は、一般相対論理論に基づく理論予測と比較し, 強い重力場での天体現象についても解明する。 (1) 背景: アインシュタインの一般相対論の提唱 (1915 年) から、まもなく 100 年が経とうとして いる。この理論の検証は、弱い重力場でこそ実証されているが、強い重力場では達成されていない。 中性子星や宇宙全体を扱う際には強重力場の理論が必要となるが、それら天体(宇宙構造)の周辺 環境は不明であり、モデルにも不定性が多い。強重力場での一般相対論の高精度検証を行うには課 題がある。一方、ブラックホールの場合は、その近傍の降着円盤などの物理状態に不確定性があるも のの、ブラックホール自体は非常に単純であり、重力波検出と同様、強い重力場での一般相対論の高 精度検証に最適である。観測的には、ブラックホールは「影」として、その姿を示すと 予想されている。この「影」を直接観測する事が、我々の基本的アイデアである。ただし、「影」の 見かけサイズは非常に小さく、高空間分解能の天体観測が必要となる。 (2) 具体的内容: 「影」の良質な ”電波像 ”を得るには、10 局規模のサブミリ VLBI 網を作らねばな らない ([6]~[10])。それは現在の時点で技術的には可能だが、数百億円規模のプロジェクトとなり、近い将来に実現されることは難しいであろう。そこで、まずは フリンジ観測により ”「影」の存在を証明 ” することに特化し、コストダウンして 10 億円レベルで計画を実施することから始めたい。これ により、他に先んじてブラックホールの直接検出ができる。また、将来の「影」の撮像観測にむけて のプロトタイプ(大規模観測に向けての段階的実績積上げ)という位置づけでもある。図 2 は、VLBI の様々な基線ベクトルに対するフリンジ強度 (単純な理論モデルによる) を示したものである。観測に 向け、SgrA* 用のフリンジ理論曲線 (ブラックホール周囲のプラズマ環境 モデルに依存する) を理論 的に予測しておき、観測したフリンジ強度曲線と比較する。我々の 1~2 千 km 基線長での観測で”ヌ ル点”が検出されれば、”ブラックホールの「影」”の強い証拠となる ([11][12])。 (3)特色・独創性,結果の重要性: ”事象の地平面”を捉えるための我々の提案は、以下の特徴をもつ: | ||
研究計画
本研究では、実際の大型球面鏡固定局と移動局 (キャラバン局) の制作に向け, キャラバン局の試作・評価に重 点をおき、かつ大型球面鏡の設計、観測サイト調査を 行う。また、SgrA* ブラックホールの「影」のモデル を構築し、フリンジ振幅ゼロとなるヌル点検出のため のアンテナ配置を探る [16][17][18]。その先、3 局 3 基 線、ヌル点発見のため 1~2 千 km 規模の 230GHz 帯 VLBI ”キャラバン sub ”をアンデスに展開する。
Step1:
キャラバン局の試作・評価 本構 想の中では、キャラバン局の実現を最優先する。キャ ラバン局は、移動可能とする事で、通常の数局分に相当する uv カバーを確保できるユニークな VLBI 局で ある。いずれ国際観測に発展させる際には、その強み を活かして、優位な立場を得ることもできる。具体的 には、大型トラックで望遠鏡を運搬、観測地で組んで観測するものになると想定している。VLBI での感度 は、基線両端のアンテナの口径の積に比例する。従っ て一方のアンテナが大口径であれば、他方は小口径でも十分な感度が得られる。我々の SgrA*の観測は、一 方を固定球面鏡による大口径局とするので、移動局は4~5m 口径相当でよい。ただ、観測サイトとなるアンデス山脈では (相当に道路整備がされているが) 道幅は2.5m 程である。口径 4m の単一鏡を製作とすると容易には移動できない。そこで、口径 2m クラスのアンテナを複数台用い、合成複合鏡として 4~5m の口径を実現する [19][20]。 ALMA のような多目的観測装 置では、全要素に最高性能が課せられ、非常に高価である。一方の本研究では周波数を 230GHz に限 定するなど、コストダウンを狙う。鏡面も球面鏡とし安価に製作する。既に 90cm アンテナの試作を行 い、”へら絞り法 ”によって残差 60 ミクロン精度を達成している。
本プロジェクトでは、春日・三好・氏原らが複合鏡の設計を完成させ、入交・岡・萩原・坪井らが搭載受信器を作成。日本国内での試験観測を通じ、試作機の評価を行う。また、キャラバン局に搭載する高感度観測シス テムの開発 (竹 内・関戸・川口など) を行う。VLBI では、各局で受信, 記録し、後日再生、計算機上で 相関処理 (干渉処理) を行う。SgrA* のような連続波電波源が観測対象である場合、観測周波数帯域を 増加させれば、その 0.5 乗に比例して感度は上昇するため、高速サンプラでデジタル記録すればよい。 その際、受信電波の波形をできるだけ正確に記録することで、そのコヒーレンスを維持する。サンプラ にジッター (信号の時間的なずれや揺らぎ) があると、コヒーレンスが失われ, データを再生・相関処 理しても干渉しないことになる。これについては、NICT 開発の記録装置 ADS3000+をベースに検討する。また、その最高速記録モードの実効精度を上げる技術開発を行う。
Step2:
大型固定球面鏡の光学・機械設計 (氏原・竹内・新沼・大師堂など) 固定球面鏡採用の最大のメリットは製作コスト低減にある。球面鏡では鏡面曲率が一定なので、 同一パネルを容 易に量産でき、コス ト削減できる。大型主鏡面は地面に固定するので、 通常の経緯台の場合に生じ る観測高度角に応じた主鏡面の自重変形がない。複雑な主鏡面支持機構も不要となり、コスト減であ る。実際、早稲田・那須電波観測所 [21][22] では大型球面鏡を採用し、電波干渉計を実現している (竹 内学位論文な ど)。ただし、以下の 2 点の検討が必要である:
(1) 完全な焦点を結ばせるためには副 鏡面に非球面鏡を採用する必要がある。その焦点位置には自由度があり、原理的には主鏡の光軸から ずらしたり、主鏡に対し前・後面いずれにも配置可能である。最適化設計のためには、広範囲なパラ メータサーチが必要である。
(2) 球面主鏡は地面に固定であるが、天体の日周追尾のために、副鏡と受信ホーン部分には小型の駆動装置が必要になる。我々が扱う 230GHz 帯 (波長 1.3 mm) においては、0.2 mm 程度の高精度駆動を可能にする必要がある。この高精度駆動のために は、副鏡、受信部のサイズと重量に制限があり、十分な集光力のある光学系の設計と検討も順次行う。
Step3:
アンデス山地のサイト調査 (西尾・高羽、高遠など) 大型固定球面鏡はアンデス、 ペルー地球物理研究所・ワンカヨ観測所 (標高 3360m)[23] とボリビア・ラパスのチャカルタヤ宇宙線 観測所 (標高 5300m)[24](図 5,6) に設置する。既に両観測所での現地調査は済ませており、望遠鏡設 置の内諾も得ている。今後は、上記観測所を滞在先として、キャラバン局のためのサイト調査(道路 事情やインフラ等の現地調査)や移動の実際についての準備作業などが必要となる。
Step4:
”ブラックホール近傍の相対論的時空はどう見える? ”の理論研究 本研究の最終 目標は ”観測による一般相対論の検証 ”である。本申請では、この観測計画が実現可能であることを、 様々な面から徹底的に検討しておく。まずは、上述の装置の技術的側面についての検討であり、現状 の技術でどの程度までブラックホール近傍に迫れるか、また単純ではないブラックホール周辺の環境 に対して、観測の結果として何を観たといえるのか、そのための空間分解能や時間分解能などを評価 しておく。また一方で、理論的側面から、様々なアプローチでの検討を行う。
本プロジェクトでは、”輝く 降着円盤(降着ガス)中にブラックホールが「影」として観測できる ”ことを前提としている。これは、一般相対論に基づく理論的予測であるが、ブラックホール周辺で光を放射する対象については、 相当に単純なシステム(定常・軸対称、赤道面の流れなど)を想定しているのが実情である。 実際の観測において予想の結果が得られない場合の対応も考えておく必要がある。それは観測の手 法や技術に問題がある可能性もあるが、単純な時空の幾何学のみを考慮した理論的予測が十分でない ことを意味する場合も含む。前述に示す研究目的の最終的な達成のためには、たとえ単純なモデルで 予想されたものと”異なる”観測結果が得られた場合においても迅速に対応したい。そのため、ブラッ クホールの周りの ”未知の環境 ”を、現時点で考え得る限りの理論的考察により定量的に検討する。
一般に、降着円盤はブラックホールを取り巻く恒星やガス雲が、ブラックホールの潮汐力によって 破壊され、形成されたものと考えられる。ブラックホール周辺には理想的な形状の降着円盤が存在し ているとは限らず、波打っていたり、ちぎれていたり、時間的にも変動し、爆発現象(フレアー)す ら生じていることだろう。ブラックホールと降着円盤を取り巻くコロナ域が存在し、プラズマ風も吹 き乱れているだろう。しかも、そこには磁場の存在も予想される。とはいえ、本プロジェクトの独自性は、 そうした ”複合的で複雑な周辺環境 ”にあっても、ブラックホール自体は単純な存在であり (質量とス ピンにのみに依存する)、ブラックホールに固有な何らかのユニバーサルな天体現象が発現しているの ではないかと期待し、これを探るところにある。
[16] 三好真など,2009, 日本天文学会秋季年会,V64a
[17] A First Black Hole Imager, Caravan-sub at Andes, Miyoshi, M., et al.,
Galactic Center Workshop 2009, Shanghai, China
[18] An Earliest Black Hole Imager at Andes, Miyoshi, M., et al.,
The Nineteenth Workshop on General Relativity and Gravitation in Japan
[19] 春日隆ら,2010, 日本天文学会春季年会,http://www.asj.or.jp/nenkai/2010a/html/V13c
[20] 春日隆ら,2010, 日本天文学会秋季年会,http://www.asj.or.jp/nenkai/2010b/html/V69c
[21] 早稲田大学・大師堂研究室; http://www.astro.phys.waseda.ac.jp/index.html
[22] Daishido, T., et al., 2000, Proc. SPIE Vol. 4015, p. 73-85, Radio Telescopes,
Harvey R. Butcher; Ed
[23] ペルー地球物理観測所 (IGP)http://www.igp.gob.pe/
[24] チャカルタヤ宇宙線観測所 http://en.wikipedia.org/wiki/Chacaltaya
[25] サブミリ波 VLBI 梁山泊 (2004), http://vsop.mtk.nao.ac.jp/∼nagai/
submm-ryozanpaku/submm-ryozanpaku pub.html
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Project
(A) 現段階で最も観測を説明する降着円盤モデル (RIAF モデル) を用いて、ブラックホールの「影」をシミュレーションし、VLBI 観測と対比できる環境を整備する。円盤表面か ら放射された電磁波はブラックホール時空の歪みによって軌跡を曲げられるが、その様子 を一般相対論の枠組でのレイ・トレーシング法で解く。ブラックホールの手前側に分布する降着ガスによる吸収効果も取り入れ、よりリアルなイメージを準備し、実際の観測に備える。
(B) ”複 合的な環境 ”が「影」の形状にどの様に影響するかを調べる。そのために、ブラックホールの低緯度 地帯に位置する降着円盤モデルに加え、その円盤を取り囲む中緯度域「コロナ」と高緯度域「磁気圏(磁場が卓越した領域)」 のモデルを導入し、密度分布や温度分布を調べ、そこでの輻射機構を探る。さらに、ブラックホール磁気圏のダイナミックスや安定性について考察するため、一般相対論的磁気流体の数値シミュレーション を発展させる。これら ”強重力場下での磁場の寄与”を解析する事で、従来のモデルでは扱われてこなかった相対論効果が抽出できると期待する。
(C) 降着円盤が薄い円盤状ではなく、幾何学的厚みのあるトーラス状の場合、 地球から銀河中心を臨むにあたり中心領域を隠すなど、「影」の見え方は、トーラスの幾何学的な構造に大きく影響され る場合がある。したがって、RIAF モデルの枠組みにとらわれず、降着円盤としての定常形状の様々 な可能性を理解しておく。この形状/状態については、既に高橋 R(Takahashi 2004, 2007) や江里口 (Nishida & Eriguchi 1994) があるが、それらを拡張する。
(D) 時間変動の観測とリンクして、降着 円盤の安定性解析も重要となる。特に、多くのブラックホー ル候補天体で X 線観測での準周期的変 動 (QPO) が発見されている。我々の電波観測でもブラックホール「影」 の時間変動が捉えられる だろう。QPO はブラックホール周りの降着流の振動が起源と考えられ、その理解には円盤や降着流 の定常的構造とその安定性の解析が重要となる。江里口, 吉田, 加藤は, これまで軸対称時空の構造および円盤構造を厳密にもとめる数値計算手法を開発してきた。これを拡張し QPO の問題に取り組む。
(E) (A)–(D) の担当者を中心とし、それぞれを統合化し、 さらなる理論モデルの精密化をはかる。試験的観測の実施と歩調を合わせる形で、銀河系中心ブラックホール SgrA* の現実的姿を詰 めていく。そのための ”勉強会 ”は既に実践している。
本プロジェクトでは、「ブラックホール探査」という未知の世界への取り組みに対し、観測機器を作成し観 測するという「観測プロジェクト」と同時並行して、それを支える理論研究を推進するが、この試みは 特筆すべきであろう。この観測と理論研究との連携は、現状の ”単純化された”ブラックホールの「影」 の予想とは異なる観測結果が得られた時に、まさにその解釈において威力を発揮する。さらに、次世代 の観測 の方向性を与えるものとなるだろう。ブラックホール時空の観測という天文学的意義に加え、一 般相対論の検証、ブラックホール時空構造の解明など、本研究が関連分野に与える波及効果は大きい。
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